教育とはどうあるべきなのか?

一言でいうと無駄なことをいっぱい教えるべきと思う。

僕は何度か書いている通り義務教育というものは秩序の形成のために行われていると思っているのですが
via: 小学校,中学校,大学校というのはどうか。(諏訪耕平の研究メモ)

高校と社会のギャップを埋めることを目的とする教育、また、高校までに学ぶべきことを再教育する教育について、誰がその経費を払うのかについては、考えがまとまっていない。
via: 日本の教育システムに関する今の私の考え(発声練習)

企業が「安い賃金で働いても文句を言わないような技術や知識をもった人材」がほしいのなら、企業が負担すべきでしょう。この場合、企業は、経済学でも企業に不利なことは教えてほしくないと考えるでしょうし、法学でも労働法とかの企業に脅威となるような知識を身につけてほしいとは考えないでしょう。企業が負担しないのなら、企業以外のところです。それは国民しかありません。企業の勝手な論理で、国民の負担が多くなるんです。それは消費税という名の見えない負担かもしれません。

支配者階級に不利なことを教えたいとはなかなか思わないのが実情でしょう。秩序にもよりますが、支配者階級の既得権が奪われる可能性が高いような知識を与えることは秩序を乱すという考え方もできます。

教育は確かに大事ですが、教育で問題を解決できるとはとても思えません。教育でなくて国家戦略レベルの問題だと思います。もっと日本には天才を探し出して育てるような教育が必要でしょうし、たいした能力がなくても起業にチャレンジするような社会風土も必要だと思います。また、社会をよくするために自己の利益をある程度犠牲にしてもよいと考える人たちも必要でしょう。

ホントウに専門性の高い仕事をしている人を除いて、小学校・中学校程度の学力や知識で仕事をしてる人がほとんどですし実生活もその程度でほとんど問題なくすごせます。大学をでて仕事をしている人たちでもそういう人が多いと思います。そもそも大学程度では専門性がそれほど高いともいえませんしね。

社会に適用できるように、社会にうまくなじんで経済活動をして生活できるようにするのも教育の1つも目的でしょうが、教育にはもっと別の側面もあるとかんがえます。そもそも人は、社会のために存在するわけでもありませんし、社会のために生きてるわけではありません。

教育を職業訓練にしたらよいといっている人たちがいまいち信用できないのは、言っている人たちがそういう職業訓練を受ける層ではないということとです。言っている人たちが、自分自身が職業訓練を受けたかったというのなら話は別ですがそういう論調はあまり聞きません。要は企業と同じロジックなんだと思います。

理屈が通じないのは、多くの人が理屈を前提に意見調整を行う技法の訓練を受けていないため。単一民族・一つの文化幻想の下で意見調整を行う行為自体が良しとされていないのだと思う。この二つの理由をひっくるめると、結局は知識・技術の軽視が根本にあると思う。
via: 日本の教育システムに関する今の私の考え(発声練習)

海外の人たちのことはよくわからないけど、海外の人たちも理屈が通じるのでしょうか?また理屈を前提にした意見調整をやる技術を持っているのでしょうか?これが正しいのなら、理屈にはそういう力があるということです。しかし理屈にそういう力があるとは思えません。理屈や知識・技術に過度の期待がありすぎると個人的には思います。

社会はそもともあまり理屈が通用しない理不尽なものだと思いますし、理屈程度で人が分かり合えるようなことはありえないと思います。人は話し合えば分かり合えるとか、感情を抜きにして論理的に話しあえば分かり合えるとかそういうのは幻想で、そういう幻想を抱いている限り駄目でしょう。多民族国家の人はそういうのが幻想であると実感で知ってるからこそ、そういう分野に強いだけだと思います。

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