考えるとは

「自分はこう思う」「自分はこう考える」という答えを出すまでの思考の過程が大事で、「自分の答えが出せるようになる」ということ、それはきっとその人にプラスになると思う。
via: 自分の答えを出せるようになるということ。(かみんぐあうとっ)

自分で考える前にググっていませんか?」のように自分で考えることの大切さは知っているつもりでした。しかし、私はホントウに考えてるのか?というとそうでもなさそうだという気がします。考える材料を脳にインプットして結果をだすわけですが、その過程が定型的であったり既存の価値観に縛られていたりすると、単に脳内で検索処理をしているのに過ぎません。これってホントウに考えてるのでしょうか?

このように感じたのは、今まで生きていて価値観が少しずつ変化してきたのはなぜか?ということを考えたからです。価値観はそうそう変化しません。なんど自分で考えても考えても価値観はなかなか変化しないのです。いくら考えてもいつも同じ結果がでてくるのです。なぜ同じ答えが出てくるかというと、考える過程がそれほど変化してないからです。

このことから、考えるというのは、結果でなくて過程が重要ではないかと最近気づきました。今まで、考えるのは結果を出すためで結果を出すための行為が考えることだと認識してました。それも「考える」の1つでしょうが、「過程を重要視した考える」も考える1種ではないかと思います。

これは学ぶに似ていると思います。習得することも学ぶですが、学ぶ行為自体(過程)もまた学ぶということです。

結果を出せないものはなかなか評価しにくいですし、またすぐに役に立つこともほとんどありません。だからといってそういうことを軽視すると、「自分で考える」ということはできにくいなと思います。

出ない結果をだしたいとか、考えをより進めたい場合も、この過程を重要視してこの過程を変化させることで可能かもしれません。


【保留】

そうしてかつては他者の言葉だったそれは、自分の言葉となっていく。
via: ググるよりググられることを目指せ(404 Blog Not Found)

借り物の他者の言葉が、自分の言葉になることもあると私も考えてましたが、実際のところそれはあまりなさそうな気がします。自分自身で振り返っても、やっぱり思いつかないです。確かに他者の言葉を自分風にアレンジして自分の言葉らしいものにはなるとはおもいますが、それは自分の言葉ではないと思います。

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