理解したうえで、ヘドが出るけどナと言ってるかどうか【嫌悪感と差別は別物】

セクシュアルマイノリティへの偏見は間違い?から知った以下の記事を2つの記事を読んだ。

「嫌悪感をなくせ」ではなく「差別的言動をとるな」というメッセージを私の授業から受け取って、「でも嫌悪感があるから差別的言動をとるよ」と彼は言っているようにも思えました。
「ヘドがでるけどナ」と書いた学生 - Ohnoblog 2のコメント欄

この記事と「「正しさ」の限界と「幸せ」と困惑‥‥先日の記事について - Ohnoblog 2」を流し読みしました。というか内容をちゃんと読んでちゃんと理解すること自体僕には無理そうだと思いました。

僕が思ったのは、嫌悪感と差別は別物だということです。嫌悪感を感じるのは差別している証拠かもしれませんが、それでも嫌悪感を感じるのと差別とは別物だと考えるべきでしょう。

生理的に受け付けないとか人間には論理や理性ではどうしても抑えきれない感情というものが存在します。もちろん、中には正しい理解をできたらそういう感情が消える人もいるでしょうがそうでない人もいるのは事実です。

ただ、そういう嫌悪感を持っていたとしても、それを差別という形であらわしてはダメだということだけなのです。差別をなくそうということで、相手を理解させたり間違った思い込みを訂正することも有効でしょうが、そのほかに、「嫌悪感」とうまく付き合う方法を取得することも人によっては必要なのかもしれません。

僕は、ある程度事実関係などを理解してうえで、それでも「ヘドが出るけどナ」という感情があるのならそれは偏見ではないと思います。ただ、その感情をどのように表すかによっては差別になろうと思います。

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