この世に生まれた以上、世のためになる人になりたい。

「この世に生まれた以上、世のためになる人になりたい。」
師匠に何があったのかはわからない。

正直その手の話は苦手だったおっさんは、ただあっけにとられるだけで、何も言えなかったが、その後は、また元の懐かしい馬鹿話に戻ったので、結局その話はそのままになった。

その師匠が死んだということを知ったのはそれから更に1年後のことだった。
交通事故で即死だったらしい


最初に書いたように、今、おっさんを“ロン”と呼ぶ人はいない。
でも、師匠は最後に別れたあの日もおっさんのことをロンと呼んでいた。
NO GIMMICK!: 師匠のこと。

この世に生まれた以上、世のためになる人になりたい。

今時、こんなことを考える人が日本にいるかどうかさえ不明な感じですが、こんな僕でも昔はそれに近いことを考えたこともありました。

世のためなんてそんな大それたことでなくて、困っている人の助けになれるように行動しようという程度のことなんです。しかし、これが案外うまくいかないんです。

困っている人を助けることの意味を考える 」は意味不明な感じでちょっと書いたんだけど、困っている人の多くは、その存在自体が困った人の場合が多かったりするんですね。

手助けしてあげれば、それに感謝するどころか踏み台にしてその手を踏みつけたりとかそんなのは日常茶飯事みたいな感じ。感謝されたいとかそういうことでなくて、同じ理不尽な目に遭っている境遇同士、その痛みは共有できるんじゃないか?とかそういうものでさえ幻想だったというのが結構ショックだったりするわけです。

夏目友人帳 -緑川 ゆき」とかでもそのような感じの話が書かれてますし、また実際問題、苦労した人ほど、人の痛みがわかるとかそういうのはほんの一部の人だけだということなんだと思います。

こんなことを書くと、ひどい人たちもいるものだと勘違いする人がいるかもしれませんが、本当に困ってる人は心に余裕もなく、またいろんなものにも余裕がないわけです。その中で、人間らしくとかそういうのは非常に難しいことなんです。

生きる意味探し

困っている人がその人の助けになれるように行動しようと考えたのは、生きる意味をさがしていたからでしょうね。生きる意味を探す人には大きく2種類あると思います。

1つは、幸福すぎて(恵まれすぎて)生きる意味を見失っている状態の場合。もう一つは、不幸で生きる意味を探さないと生きることが難しいという場合です。

不幸な境遇にある人たちにとっては、「生きる意味探し」というのは、希望探しだったりするわけですね。

死んだ人の分まで、死んだ人の代わりに・・・

これも人によるんだろうけど、こういう考えで生きるのはうまくいかないような気がする。自分自身という主体を無視して、死んだ人の分とか代わりとかいうのはやはり無理があるんだと思います。

生きる意味

ある人の日記には、献血することが唯一の生きる意味であると書いてあった。回数も百回とかそういうぐらいの多さだった記憶がある。

それを読んで、意外と身近にそれも案外簡単な?ことで、生きる意味を作れるんだという衝撃を受けました。衝撃を受けたのは、いろんなことが謙虚に日記に書かれていたこともあるかと思います。

でも、僕自身は献血することで生きる意味を感じることはできないなとも思いました。「困っている人の助けになれる」という条件を満たしてるのに・・・。

ネガティブな中にも暖かいものがあると思うんだ

カポネは、私が高校1年の時からの9年間を共に過ごした犬です。
高校の頃と言えば、性格が悪い上に成績はビリ、肥満体で友達もいない暗~い時代でした。
ただ一つ、毎日学校から帰るとカポネが歓喜のフリフリ踊りで出迎えてくれるのが救いでした。
幸せを運んだブルドッグ - 小野 まゆら

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