首相決断の「ご理解とご協力」の何がマズイのか?

何がマズイのか?

一言でいうと、
理解でも協力でもなくて
一方的な通告だから。

命令に従ってくださいってことですよ。

目先の結果にとらわれすぎるのは、ダメかも

対話と譲歩の欠如である。

「ご理解」するのも「ご協力」するのも、国民であって政府ではない以上、それは一方的な最後通牒にしかならない。
404 Blog Not Found:news - 脱「ご理解とご協力」を

今回のような首相決断というのは、重要事項で緊急性がある場合にしなければならないと個人的には思います。また、その決断の効果が期間限定であったりして一時的な効果しか示さないようにすべきだとも思います。

民意が反映されてるかどうかわからないことを、首相の決断という名で独断的に決めてしまうと民主主義的な路線だとあとあと良くないことがあると思います。

2分しているといえ、本当のところはどうだかわからない、また実際にはっきりわかると困ってしまうとかではダメなんじゃないかなと思う。

原発が再稼働することが良いことだとしても、この方法論では失ったものも当然あるはずです。だから、原発再稼働されて良かったと喜んでいても、今後、このような方法論で違うことも実施されるということが可能になってしまったわけです。

結果が良ければ、なし崩し的にやってもよいかってことです。
また、対話(民意)が大切だと考えるのなら、1年のあいだにやってきたことが違ったはずだと思います。この1年で行ったことは対話でなくて理解(させること)だったのでは?


郵政民営化の時はどうだった?

その当時、国論を二分したいわれていた「郵政民営化」の場合はどうでしたでしょうか?
二分しているって言葉は、便利なものですね。


民主主義

政治や政策に、民意がある程度、反映されているかどうかというのは、力なき庶民にとっては非常に重要なことだと考えなければならないと思います。

経団連とかその手の権力あるところと利害関係が一致している庶民の人たちは、どんな方法で決まろうと困らないかもしれませんが・・・。しかし、いざ、利害関係が一致しなくなれば、民主主義なのに頼れるものは何もなくなります。

選挙で選ばれた国会議員の中から選ばれた首相が決めてるから、民主主義だとかそういう話をする人がいますが、そういう形式でなくて実質本当にそうなっているかどうかのほうが重要な話であって、形式が守られてるのはそれ以前の話なのです。

形式が守られてる程度で、民主主義が成立するなんてことはありません。ちょっと油断すれば、形式だけの民主主義になるからこそ、難しいのです。

経済が成り立たなければ、飢え死にするかも

民主主義を守っていたら、経済が立ちいかなくなた場合に、民主主義自体を捨てかねないかも。

たとえば、モラルを捨てないと飢え死にするようなときでも、多くの人はそのモラルを捨てる行為は一時的な行為にとどめるはずで、ピンチを脱したら元のモラルに戻しますよね。

しかし、なし崩し的にモラルをもとに戻さないとしたら?

民主主義なんて、豊かな生活をしている人たちにとっては
大義名分に使うのには便利でも、それ以外では制御しにくい不便なものなんですよ。
だから、一度、失われたものをもとに戻そうなんて考えません。

原発関係は別にしても、
今まで、我々?は目先の餌に目がくらんで、大事なものを失ってきたではありませんか?

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