怒っても無駄な相手を見極めたほうが良い

  • 投稿 : 2013-02-10
  • 更新 : 2014-06-23

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怒らないでどう教育するの?
「指摘」すればいいんじゃないですかね。

言葉遊びみたいだけど、例えば○○というよくない事象があったとして
「○○すんな」ってのと、
「なんで○○したの?」
って受ける印象が違うし、
後者のが本人から解決策出てくるよね。

自分が考えだした解決策のほうがうまくやれると思うよ。
怒るという無駄なこと - Yamashiro0217の日記
上記のブログをよんで、僕が思ったことは「怒っても無駄な相手を見極めたほうが良い」ということです。

僕は昔から怒られることはほとんどないし、怒られたとしてもまともに聞いていません。もちろん小心者なので、怒られると委縮しますが、その効果しかありません。

自分自身で考えて、納得して何かをしようとする人に対しては、怒ることで行動を正すことは無理なことが多いと思います。

「XXXしてはダメ」といわれても、その理由に納得できない場合は従えないということだからです。あと、教育というのは体面上の表現で、多くの場合は「指示・命令」だということに気付いていないからです。

引用主の人はわかりませんが、僕の場合のように、怒ってもダメな場合は、冷静に話しても無駄なことが多いと思いますね。怒ってもムダというのは、たいていは何を言ってもムダという状態です。

怒ってもムダ、何を言ってもムダな場合はどうすればよいの

怒る本来の目的が、相手の行動を正すというものなら、相手が行動を変えるように仕向けることです。引用先では、冷静に対処するようなことが書かれてますが、要は誘導尋問みたいなかんじのことを行えばよいわけです。

相手に気付かせるというよりかは、相手が気づいたかのように錯覚させて行動を誘導するというほうが近いと思います。間違いでなくても、間違いだったと思わせれるかどうかがミソなので、相手を言いくるめられる能力がないと無理だと思います。

冷静に諭す・指摘する程度では、怒るのとたいして変わらないんですな。
だって、怒られた時に間違いに気づけば、怒り方が少々不当でも、多くの人は行動を改めますよ。

誘導尋問とかいうとイメージ悪いですが、コーチングという手法ですね。

おだてるとか飴を与えたり、与えなかったりするというのも似たようなものです。行動を誘導するという手法です。

怒ることの効果は・・・

怒っていい場面がもしかしたらあるのかもしれない。
例えば見せしめ。
怒るという無駄なこと - Yamashiro0217の日記
「見せしめで怒ることは無駄」だというブログのエントリーを書くことは可能かと思います。

見せしめで効果があるのは、恐怖(委縮させる)を与えることができるからだと思います。
全然関係ない人が怒られていても、自分自身が同じ目に合うかもしれないとおもうと、怒られてるのと同じ効果があるわけですす。

恐怖を与えることが効果を上げることなので、効果が上がらないと延々と時間を長くするか、威嚇方法が声を大きくする、手を挙げるなどとエスカレートするわけです。

で現代の日本においてできることは、限られてますので、ほとんどの場合、怒ることでの効果が薄くなる傾向にあります

怒る=体罰みたいな感じでイメージしてもよいけど、周りにその行為が認知されていないと効果が半減するか効果が出ないんです。
要は、信仰と同じで、信じてもらわないと効果がでないのです。

その行為が正しいと信じられない現代の日本では、そういう意味では、効果があまりないわけです。


冷静に指摘して、最後に笑顔で終わらせると不愉快に感じる人もいます

だって、よく考えてみてくださいよ。やり方によっては、嫌な奴じゃないですか?

また、誰もいない会議室に呼び出して、怒ることの方が、職場で直接怒る場合よりも不愉快に感じる人もいます。

理論に頼りすぎると、正しくない行動が正しいように思えるということ。
理屈っぽい人ほど、感情を無視する傾向にあるので、勘違いしがち。

感情的になることは良くないことだという思い込みと、人間は基本は感情で行動するという原理を知らないからだと思います。

怒られると素直に従えないのも、感情があるからです。指摘は妥当かどうかなんて2の次です。
むしゃくしゃする気持ちを、相手が不当な指摘で怒っているとか、怒ることは効果がないことを知らないのかなどと論理的な反論をしたくなるのかもしれません。

コミュニケーション(人間関係)に大事なのは、正しさでなくて違うものだと思います。
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