「建国記念の日」と「建国記念日」の違い

  • 投稿 : 2013-02-11
「建国記念の日」に反対するのは?
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〈問い〉 二月十一日は「建国記念の日」ということになっていますが、日本共産党はこれに反対しています。なぜですか。(愛知・一読者)

〈答え〉 「建国記念の日」は、もともと天皇を神格化し、その政治を美化した戦前の「紀元節」を復活させたもので、主権在民を定める憲法の民主主義の原則に反しています。日本共産党は憲法の国民主権の原則と言論・思想・信教・学問の自由を守る立場から「建国記念の日」に反対しています。

 戦後「紀元節」は憲法の主権在民の原則に反するものとして廃止されました。ところが、自民党政府は一九六七年から「建国記念の日」として復活させました。これは、その後の元号法制化、「日の丸」「君が代」の教育現場への押しつけなど、教育の反動化、憲法改悪の動きとむすびついたものです。

このように二月十一日の「建国記念の日」は、憲法の主権在民の原則に反するものであり、これを祝う民間の式典を政府が後援することや首相、閣僚、衆参両院代表の出席はやめるべきです。(絹)

〔1999・2・11(木)〕
http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990211_faq.html

「建国記念の日」と「建国記念日」はどっちでもいいんじゃないか?

関心のない人にとってはそうなります。また関心があっても逆に明確に「建国記念日」とすべきだという意見を持っている人達もいます。

どの立場でも悪くはないと私は思いますが、それぞれの立場の人の価値観や考えを理解してみようとすることは悪いことではないと思います。別に理解できたからと言って、賛成する必要はないんです。

集団と個人の問題なんです

集団を維持し管理するのに効率的な方法と、個人の権限や権利とは相性が悪いわけです。相性が悪いと思わない場合は、単に世の中が平和で景気が良いためにそういう現象が起こりにくいから、わかりにくいからかもしれません。

人命(人一人の命)は地球よりも重いというのは理想ですが、実際には地球がなくなったら人の命(人一人の命)どころではありません。たとえ話だからというのは詭弁であって、実際に集団を維持することと、人一人を救うことを天秤にかけることがあるわけです。

集団を主体とする場合は、それを構成する個人は入れ替えが可能だということです。集団を維持するために大半の個人を失っても問題ないということもあります。一部の少数の人だけ犠牲になるとか思っているのなら、それはたまたまそうなだけで、集団の存続優先というのはそういうことなのです。

国家とかいうと大きすぎるので、会社とかでも良いでしょう。学生なら、学校でも良いかと思います。

会社と利害関係がほぼ一致している人たちと、そうでない人たちは同じ会社の人間でも違うわけです。で、会社には従業員以外にも経営者たちがいます。従業員と経営者とは同じ会社の人間ですが、でも全然異なる立場の人間なのです。

経営者たちと従業員が同じことを言ってたとしても、それぞれの思惑(想い)まで同じかどうかは別だということです。

家族サービスが大切だから、毎週水曜日は定時で退社しましょうとかいうことを経営者が言った場合に、経営者(会社)が家族のことまで考えてくれて本当に素晴らしいと無条件に思える人はどの程度いるのでしょうか?

利害関係の問題だと思ったほうが良い

どのような思想でも、その人自身がまずは幸せになれるのなら、まだ?良いかなと思います。ここで自分自身でなくて、周りがとか日本が、世界がなんて大きく広げる必要はないんです。

大きく広げると、大義などに酔いやすくなって、本来の問題点が目に見えなくなります。

国でなくて会社でもなんでもいいんです。何かを考える時のスタンスとして・・・。

実は僕はこの問題をよくわかっていない

ただ、「建国記念日」は正式名?でなくて「建国記念の日」だよという話と、なぜ建国記念日でないのか?というものには何らかの歴史や思想があるということです。

確かに僕のこの記事は中立でなくて、どちらかによってますが、それは僕が僕なりの考えがあるからです。でも僕がどう考えようと、それに賛成・反対しようとそういうことと関係なく、あなたの考えがあるはずです。

その考えは、本当にあなた自身の考えなのか?というのも僕は重要だと思います。

僕は、日本の礎になった人がどうこうとかあまり思いませんが、もしそういう考えであっても、「建国記念の日」という「の」がついた名前を採用したという事実もまた過去の人たちが選択した「思い」なんです。こっちの思いは大事で、あっちの思いはダメとかは、敬うというものではない可能性もあります。

自分自身でよく考えてみて

考えるとは 」とうエントリーでも書きましたが、考えるというのはその過程のことだと思います。過程が違うのなら、同じような結論でもその内容は違うことが多いのです。

答えが決まってるものは、そもそも考えているといえないことが多いですので注意したほうが良いです。また、考えている状態というのは、本来は揺らぎやすいんです。

まあ・・・

僕は、言いやすさもあって「建国記念日」とか普通にいってますけど・・・・。それはそれ、これはこれです(^^)

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