蒼穹の昴 – ハトとお釈迦様のいのちは等しく尊い

傷ついたハトが、シビ王いう王様の懐に助けを求めて飛び込んできました。
シビ王は助けてあげたのですが、タカがやってきて言います。
「そのハトは自分の獲物である、そのハトを食べないと自分が飢えてしまう」
そこでシビ王は、「ではハトの重さと同じ分の我が肉を与えよう」とタカに申し出ます。

けれども、どんなに肉を削いではかりに乗せても、ハトの方が重くて全くつりあいません。
最終的には、シビ王が身体ごとはかりに乗った時、同じ重さになったのです。
「では、ハトのかわりに私を食べるがいい」とシビ王は言い、後の世にお釈迦様として生まれ変わったのだ、というお話です。
<省略>
そして、「このお話でわかることは、ハトとお釈迦様のいのちは等しく尊いのだということです。宦官でと天下の状元もいのちの重さは等しいはずです」と述べるのです。
via: ハトとタカとお釈迦様と「蒼穹の昴」のお話。(merry-shaka.com -メリシャカ-)

人は等しく尊いのか?という話は、人は特別な人はいないということを認めないとだめでしょう。一見矛盾してますが、特別な人がいないということが納得できないのなら、人は等しく尊いとは認められないでしょう。

どんな人でもその人がいなくなっても代わりになる人が存在します。アメリカ大統領であってもその人が暗殺されても大丈夫なように代理がいるわけです。またどんな天才がいなくなっても、長い歴史の観点で見ればいつかその天才はまたあらわれるのです。芸術家であっても同じです。その人でないと表現できないものは、本当はないのです。

なんか論理矛盾してるような・・・。逆にこの反対のロジックでも、論理矛盾するような気がします。特別は人はいない→等しく尊い。しかしある人にとって特別な人はいますし、代わりはいません。特別な人がいる→等しく尊い?特別な人がいるのに、なぜ等しい?

論理矛盾しても、「ハトとお釈迦様のいのちは等しく尊い」であってほしいものです。

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