2026年、はじまりました

実は昨年に、義父母が亡くなりました。

現実は理屈通りにはなかなかならず、理性より感情を優先させた方が良いことも多いのかなぁと思います。

どんなに最善を尽くしても、あの時、こうしておけば・・とかになる気がします。

それはなぜかといえば、たとえば、死亡したという結果からみると、その前には何が最善なのかがはっきりするけど、でも、いつ死ぬかは、誰にも本当のところはわかりません。

少しでも長生きしてほしい、リスクの高いことはされるべきという路線だと、好きなものを食べてよいよ!!という簡単な事さえも、なかなかできません。

簡単な例でいえば、正月の餅とか雑煮とかですよね。誤嚥とか考えるとなかなか厳しいよね。でも、1週間後に死ぬとはっきりわかっていたら、最後ぐらい好きなものを食べたらいいよとなるわけで・・。

どんな状況でも

たとえ、好きなものが食べれなくても、違う楽しみを見つけられたら良いのかもしれません。

年を取ると、いろんなことに制限が掛かってくることを覚悟した方が良さそうです。

多くの問題は、お金で解決できる

一方で、現実は厳しくて、気持ちだけでは解決できないことのほうが多く、お金がないと解決できないことのほうが多いような気がします。

統計学の正しさは、個別の正しさとは別かもしれない

多くの場合、こうするのが正しいというものは、個別事例によっては、正しくない場合もあると思う。そこが難しいところで、世間一般の正しさと違うことをすることは、結構難しくて、でも、その方が今回の事例では正しいとか正しかったということがあろうと思う。

当人の希望や価値観

当人の価値観に近ければ、いろんなことが想像しやすいけど、違うとなかなか厳しいと思う。相方も私も、積極的な延命治療を行わない派なんですね。それ以外にも医者の価値観にも左右されるわけで・・。

生死にかかわる部分であるだけに、なかなか難しい問題だと思う。もちろん、当人の希望が最優先されるべきだと思うし、それは私も相方も同じだけど、でも、対極の価値観だといろんなことがわからないわけで・・。

あと、難しいことに、この問題には正解がないわけです。

まあ、どんな選択をしても結果はでるので、その結果で正しさを判断するという方法もありますが、でも、それは結果論であるし、判断時には結果はわからない&確定しないので・・。

ほどほどな延命治療

そういうのは、ないらしい。やるかやらないか?の場合もあるみたい。その辺は、医療関係者でない限りわかりえない気がします。

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