科学的、論理的ということと善悪は何の関係もない【倫理の問題】

  • 投稿 : 2011-07-22
  • 更新 : 2014-06-25

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科学の存在理由。科学の目標とは、人間の幸せである。
あまりにぶちこわしっぷりに、科学者が観測機器の誤作動を疑うが如く、私は自分の目を疑った。しかしその後がこう続く以上、それは錯覚ではありえない。
したがって、もし人間を不幸にするものがあれば、それは間違った科学、つまり非科学に他ならない。
スルーしておくべきだったか?しかしこう書かれてはそれもまた難しい。
そして、そうした間違いを防ぐのもまた、正しい科学以外ないのである。
404 Blog Not Found:ほんと馬鹿 - 書評 - 科学的とはどういう意味か



切り離すことが可能なのかどうかが不明ですが、本来学問や技術その他もろもろに関して倫理的な意味合いで正しいとか間違っているとかいう概念はないものだと思います。もし、あったとしても、僕のような一般人はないものだと考えたほうが、不幸になりにくいと思います。

科学的であること、論理的であることに、必要以上の期待や価値を持ってはいけないと僕は思います。科学的であるから、正しいのは正しいでしょうが、何が正しいの「何が」ということです。正しいことと善悪とは関係ないことも多いのです。

論理的であるとか科学的であることが、善悪とは本来関係ないことですし、またそのことで選択した結果が、幸せになるとか不幸になるとかと全然関係ないことなのです。

人生の大事な局面を占いで決めても、たいていの場合は問題なかったりします。こういうことを書くと、非科学的だとか非論理的だとか思うかもしれませんが、人生の大事な局面で必要なのは「決断」の場合が多いのでそれが案外うまくいくのです。選択はしてるが、前に進むための決断がほしいからなんです。

選択している場合において、後押しする方法論として、科学、統計、論理、占いなにを使おうと、選択した後においては大差ないわけです。

人はわかりやすいその人にとって心地よい回答を望む 【説得と交渉】 でも書きましたが、人はそういう回答を望むものなのです。

ある人々にとって、科学的、論理的であることが、心地よい回答であるだけで、科学的、論理的であることが、善悪とか正しい選択と直結しないこともあるのは当然でしょう。

ここで、善悪が正しく選択できない、正しい選択肢が選択できないものを、科学的でないとか科学でない科学とか言い出しても、僕には何の意味があるのかよくわかりません。

科学が人を幸せにするとか、技術が人を幸せにするとかいうのも単なるひとつの思想であるのに過ぎないと思います。

科学的であるとはどういうことか?という概念と中高校生レベルの科学リテラシーを僕は自分自身で持っていると思いますが、その程度ではやはり科学的に正しいかどうかという判断ができないことも多いです。できたとしても、それは直感となんら変わりないレベルになります。なんとなく、おかしいなと思って、後付で論理をつけていく形みたいなものです。

科学リテラシーが高めの人は、科学的であるものに依存する傾向に気をつけることが大事なのではないかなと思います。科学リテラシーが低い人は、おそらく科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)でかかれていることに気をつけるべきなのでしょう。

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