本当に絶望している人は読まないほうが良い。
本当に絶望している人は、周りから見ると、何も悩んでいないように見えるかもしれない。だって、悩む状態は何かに希望を持っているという現象であると考えられるから。
1年ほど前に、検索でたまたま見つけたんだけど、最後の1,2か月前程度から読んでみたんだけど、内容に現実感ありすぎて怖いです。たぶん、だれにもどうすることもできない絶望感を感じてしまったんだろうなぁと思います。表面だけ見れば、たいしたことない絶望感なのかもしれないけど・・・。
・死への恐怖と憧れが混ざった感じ
・死へのカウントダウンが止まるようなことが起きてほしいという最後の希望感
そういう、矛盾した心の動きがあるような気がします。
「最後の希望」というのは、たぶん、悟りみたいなものだと思うんですね。だから、周りができることって少ない気が・・・。
2012年10月27日
欲しかったもの
死ぬまで後3日。
自分が一番欲していたもの…
それは、生きる目的や意味だったように思えます。
頑張って生きても死ねば全て終わり。
その虚しさから開放される術を欲していました。
生きるのが無意味でなければ、希望を持てて過酷な労働にもある程度は耐えられる。
月何百時間と残業を要求するキチガイ企業でなければ。
無への道程:欲しかったもの
虚無感と絶望感は似てるとは思う。
2012年10月24日
善悪
死ぬまで後6日。
まぁ結局のところ、自分がこのブログで何を書こうが
圧倒的多数の人が抱く感想は
『このブロガーは怠け者で駄々を捏ねている大人になりきれない屑。
真面目に働けば活路は開けるのにそれをしない馬鹿野郎』
となるのでしょうが。
みんな頑張ってる。一生懸命働いてる。
なのにこのブロガーは何を血迷った事を言ってるのだろうか。
幼稚園からやり直せ。
九割九分九厘の人がそう思ってる事でしょう。
働く事こそ唯一の正しき道。
労働をしない者はゴミ同然。
無への道程:善悪
心が砕けると、活路が開けるとわかっていてもそうできないことは多々あるとは思う。
結局、自殺したのだろうか?
ネット上のログだけでは何とも言えないですけど、個人的には予告通りなくなっている気がします。
「無への道程」 ブログの著者はどうなりましたか? - 昨日、大... - Yahoo!知恵袋
なんとなく、そんな気がする。
冗談じゃない雰囲気で「死にたい」と漏らすブログは、リスカとかと同じで、誰かに助けを求めているところが多分にあると思う。だけど、200日以上前から自殺日のカウントダウンを続けてきた「無への道程」の人には、ちょっと違う印象を受ける。
「無への道程」が構築した、他人が入り込めない自殺の舞台: 古田雄介のブログ
誰かに助かを求めてるとかいうのも、本当のところはわからないわけで・・。
男性が本当に自殺したのか確かめる術はない。しかし、ブログという媒体を、助けを求める道具としてより、自分を縛る道具して利用したのはまず間違いないだろう。
【死後のインターネット 古田雄介】〈ケース11〉ブログを自分を縛る装置にした「無への道程」 | ハッピーエンディング | 終活WEB ソナエ
ちょっと違うんじゃないかなぁと思うんだけど・・。
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