【サイト紹介】マンボウの作文  

  • 投稿 : 2015-12-24
  • 更新 : 2017-01-04
http://manbou-ken.blue.coocan.jp


@homepageがサービス終了したため、@niftyホームページサービスに引っ越しされたようです


大学ではご他聞に洩れず、遊んでばかり。今じゃ、後悔してます。
大学出て、大手町にある商社に就職しました。
毎日、電話と書類作りに追われました。お酒も随分飲みました。

定年で退職したあとは、近所の仲間数人と川掃除や花作りのボランティア活動で、
なんとか、その日一日を生きてる昭和14年生まれのオジサンです。
私のプロフィール

・権威主義でないところ
・年輩にしては、若い(新しい)考え方
・文章からうける人柄

昔ながらのテキストサイトで、ホームページビルダーで作られているようです。プロフィールに年齢がわかることが書いてあるのに気づかずに、エッセイを読みながらいろいろ想像しては楽しんでました。エッセイの数も数百あるので、数日にわたって読みました。

今も時々更新されていて、追加されていっています。

僕が好きなのは、たぶん上記の3条件を満たしているからだろうなぁとは思います。

「1枚の表彰状」と「肺炎」を天秤にかける

「実はね、先日、市から通知が来てさ、我々愛護会の長年にわたる川の美化活動が認められて、明日仲間と二人で、表彰状を貰いに行く事になっているんだよ」私が話を逸らすと、
「え~、この寒いのに表彰状貰いに行くの?」
「でも、鼻風邪が治らなくて、膝がガクガクするし、ちょっと体もだるいんだよ。それに明日は、低気圧が二つも発生して、冷たい北風が吹いて寒くなるらしいので、どうしようかと考えているところなんだよ」
「そうよ。裏日本は台風並みの風だって。そんな日に出掛けたら、肺炎になっちゃうから行くのは止めた方が良いわよ。紙っぺら一枚貰うだけでしょ?」

紙っぺらとは良く言ったものである。けれども、裏返せば確かに一枚の紙っぺらである。
拡げれば宝かも知れないが、丸めれば単なる紙筒である。
それを宝と思うか、それとも紙っぺらと思うか、貰った人の扱い方一つで決まる。単純に損得のレベルでしか考えない妻が、紙一枚の表彰状を、宝と思う事はまず無いだろう。体を犠牲にしてまで表彰状を貰いに行くなんて、馬鹿げていると思っているに違いないのだ。

確かに、老化で体力が無くなれば、損得のレベルで物事を考えるようになるのは自然な事かも知れない。
何も難しく考えず、妻と同じレベルで、ふわふわと生きる時が来たのだろう。
私は表彰状をパソコンに取り込むと、置き場に困った紙っぺらをクルクルと丸め、滅多に開けないチェストの奥深くに仕舞った。
第332話 損得のレベル(H.27/12/14)

最近だとこのエッセイがなんとなく心に響きました。奥さんの現実主義的なキャラも結構僕は好きなんですね。
僕もそのぐらいの年齢になれば、「紙一枚の表彰状」と「肺炎」を天秤にかけてしまうかも。

下手なインテリの思想より、奥さんの考え方のほうが素晴らしい?と思うことがエッセイを読んでいて多いかなぁとも思います。

いろいろ、ごまかす話

私はどちらかと言うと、馬鹿正直の方だと自認しているけれど、先日困った挙句、チョイ悪おやじになってしまった。 毎年秋になると、市に助成金を申請して、地元の小学校低学年の児童を対象にした芋ほり大会を行っている。今回で八回目になるけれど、年々、市の予算が逼迫して助成金を減らされているのだ。



市から送られてきた説明書には、助成金は、花苗や野菜苗の購入代に充ててはならないと明記してある。
プロムナードなどに花壇を造って、花を植えるボランティア団体は多く、花がその対象から外されている事に首を傾げてしまう。
野菜の苗も駄目だというのは分かる。野菜の苗など植えて、観賞する人なんていないからである。いくらジャガイモの花が綺麗だと言っても、花を愛でる人はいないだろう。
とは言え、芋ほり大会のサツマイモは、苗を買って畑で育てないとイベント自体出来なくなる。まさか、スーパーできれいに洗ってあるサツマイモを買ってきて畑に埋め、それを子供達に掘らせる訳にはいかないだろう。

私が市の担当者に問い合わせると、やはり、花と野菜の苗は、対象から除外されると言う。 花は人によって好き嫌いがあり、トラブルが起き易いのだそうだ。 ならば、野菜の苗はどうかと言うと、野菜は収穫時に、所有権のトラブルが発生する可能性があるので、花と同様に駄目だと言う。
だから、サツマイモ其の物は良いが、苗は駄目だと言うのだ。サツマイモの分捕り合戦が始まるとでも言いたいのだろうか?子供の喧嘩じゃあるまいし、そんな事まで心配するなんて、お役人も大変だなあ。

過去に起きた事例から規制したらしいが、あまりにも事なかれ主義ではないか。 芋ほりが出来なければ、申請書に芋ほり大会と書けないではないか。 その上、しばしばテレビで報道され、何かと物議を醸している河川敷の使用については、 原則駄目だと言う。
掘っ立て小屋を作ったり、ゴルフの練習をしたり、家庭菜園を作ったりして役所の人間を悩ましているからだろう。

サツマイモの苗自体が駄目な上に、河川敷使用も駄目となると、芋ほり大会など出来る訳がない。
そうは言っても、子供達の体験学習に絶好の芋ほり大会は何としても続けたい。
役所の担当者は、サツマイモの苗は駄目でも、サツマイモ自体なら良いと言う。 そうか。だったら、サツマイモを買ったと言うことにして、苗を買えば良いだけの話ではないか。


無事、役所の許可が下り、さて、芋ほり大会を開催しようとした前日、それほど遠くない公園で、草木灰を燃やして放射能の測定をしたら、放射性セシウムが検出されたというニュースが新聞に載ったのだ。
情報を知ってしまったからには、ホイホイと芋ほり大会を開催出来ない。大事な子供に、放射能にまみれているかも知れない土を、素手で掘らせるイベントは適切とは言えない。 さて、どうしたものか?

毎年続けて来た芋ほり大会を、中止するべきや否や、チョイ悪おやじの苦悩が始まったのだ。
首相の政治決断と言っては大袈裟だけれど、それと同じような心境になったのも事実。 誰もが責任を取りたくない時に、責任を取らされるのが責任者の宿命である。
「よし、芋ほり大会は予定通り開催しよう。けれど、情報を得てしまった以上、事前に保護者に事情を説明して、子供に芋ほりや焼き芋の試食については、親の判断に委ねよう」
私は電話でスタッフ全員に事情を説明すると、芋ほり大会の開催を宣言したのだ。


スタッフの一人が、草木を燃やして作る焼き芋が心配ならと、朝早く芋を掘って蒸かし芋を沢山作ってきてくれた。これなら保護者は、安心して蒸かし芋に手を出すに違いない。
毎年、七十人ほど集まる芋ほり大会は、今年は五十人程に減ってしまった。新聞を見て心配した保護者は、来なかったのだろう。     
第230話 正直だけでは生きられない

エッセイの文章がきちんと書かれているためか、部分だけ抜き取るというのが難しくて、引用が長文になりました。ごめんなさい。

毎年、芋ほりをして、焼き芋を食べるイベントをして、市からの助成金をもらっている
・イモの苗は、助成金を使ってはだめ
・河川の土手に、芋を植えてはだめ
・放射能の問題

纏めるとそういう感じ。
で、馬鹿正直に対応すると、芋ほり大会自体が開催できなくなるという状況下で、こう対応したっていう話ですね。

何がこころに響いたかわからないんだけど、
誰かをつよく非難するという部分があまりないのが、こころに響いたのではないか?と思う。

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