ネットは「異文化交流」でなくて「外交」だと思うべし
ネットでは、多様な考え方をもった人と出会えるという楽しさがあります。しかし1点気を付けないとダメなことがあります。それは、ネットのコミュニケーションは、異文化交流でなくて外交かもしれないということです。見分け方は簡単で、考え方が違っても第一印象が良いとか、フィーリングが合いそうだと思う人とは「異文化交流」だと思って付き合えばうまくいくと思います。
しかし、そうでない場合は、相手は「外交」をしていると思ってください。より自分の有利な立場を維持することが最優先だということです。メリットもないのに、そういう人と付き合う必要はありません。議論や反論を吹っかけてくることもありますが、それは相互理解でなくて、外交の一環なんです。
外交が本当にうまい人と付き合うと心地よく過ごせますが、多くの人が外交が下手です。だから、付き合うのなら、初めから異文化交流路線の人を選ぶほうが手堅いです。
交渉術
セオリー その1) BATNA、ZOPAを相手に悟られないで「吹っかける」ところから、交渉は始まる。1.批判でなくて、暇つぶしやストレス発散、ブログネタというのを相手に見抜かれないようにする
セオリー その2) 相手を「交渉のテーブルに乗らないと損」だと思わせる。
セオリー その3) 交渉の期限も、「お互いの合意」として最初に決めてしまう。
「交渉術」の違いに感じられる「日本人」の特殊性:こんなところにも、グローバリゼーション2.0:ITmedia オルタナティブ・ブログ
2.相手にしないと損だと思わせる
3.途中で逃げ出すと、卑怯だというレッテルを張る
異文化交流の場合は、なるべく「あなた」のルールや都合に合わせてくれるでしょう。
しかし、外交路線はそうではありません。外交は、有利な土俵で勝負するのが基本だからです。
議論は相互理解には使えない
相互理解に使えるのは、議論でなくて、談話。世の中のすべての人の意見が「一致する」などということは起こりえません。いくら話し合い、議論しても、結果としてみんなの意見が一致した、などということは、ほぼないんです。もし、相互理解に議論を使う場合は、中途半端に終わらせる必要があります。追及の手を緩めないとかは、外交です。
起こりうるのは「一部の人に、自分の意見を放棄させる」ということだけです。話し合って合意に達したように見える状況を思い浮かべて下さい。
そこで起こったことは、「議論を通して、全員が同じことを信じるようになった」ということではありません。一部の人が「まあいいや、お前の判断に従おう」と考えたから合意に至ったのです。「今回はそっちの方法でやってみようと思った」というだけです。
2012-08-13 「話し合って決める」という幻想 - Chikirinの日記
また、相手に嫌な思いをさせるとかそういうのも、相互理解路線ではありえません。そのつもりがなくて、相手に嫌な思いをさせることもあろうでしょう。しかし、その場合は相手がその旨言えば、たいていはその件に関して詫びてくれます。しかし、外交の場合は、その傾向は低いです。
やっぱり理解できない
議論に巻き込まれたら、「あなたの言うことは、やっぱり私には理解できません」という言葉で、終わらせれるのなら終わらせてください。終わらせてくれないのなら、付き合うこと自体、時間の無駄だという結果になる場合がほとんどなので、中断しましょう。イイネ文化は相互理解の一歩
まずは、少しでも共感できるところを見つけ出すのが、相互理解につながることが多いでしょう。少しでも同じところがある場合において、そのうえで、異質なところが出てきた場合に人はなんとかその異質さを理解しようと前向きに努める傾向にあります。理解できない場合でも、スルーしようと努めるわけです。最初から批判路線と、理解路線では、全然違うわけですね。
「誹謗中傷(喧嘩を売っている)」でなくて「批判だ」とか言っても、それは当人や周りが決めるわけでなくて、基本は相手が決めることなのです。周りが決めると考えるのは外交路線。
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