幸せな人ほどダブルスタンダード
幸せな人ほどダブルスタンダードを採用していると考えて問題ない。理由は簡単で、物事に臨機応変に対応したほうがうまくいくし、また人間関係においては臨機応変でなければ逆にとらぶることのほうが多い。ダブルスタンダードは良くないと思い込んで生きていると思わぬ落とし穴にはまりかねないっていうお話です。
これは、何を大事に考えるかということにもよります。一貫性を大事にするのか、それともそういうのを犠牲にして他の違うものを大事にするのかという違いです。
本当に大事にしなければならないものを見失うと、幸せになりにくいですね。本当に大事にしないといけないものを守るには、シングルスタンダードだと制限が多すぎるというのも理由の一つかもしれません。
シングルスタンダードの弊害もある
できる人・やれる人には自己を高める努力を求め、もっともっとと厳しく要求する。前提条件がないと意味がない話もある。その前提条件こそが、ダブルスタンダードを生む要素の一つでもあります。
一方で、十分がんばっている人には「休めばいい・無理しなくていい」と言う。
これが、思慮分別のあるダブルスタンダードである。
そう考えると、勝間和代氏と香山リカ氏の「がんばらないで」の論争は、シングルスタンダードの弊害であることが分かる。
ダブルスタンダードで考えると論争が整理できる: ブログ版:春日井教育サークル
ダブルスタンダードや矛盾探しのゲーム
ダブルスタンダードであることを示して、全否定、矛盾を探し出して、全否定をすることは意味がないことかもしれないということを認識すべきなのかもと思います。全否定してるつもりはなくて、一部否定、部分否定してるつもりの場合もありますが、論調的にダブルスタンダード批判というのは全批判になりがちかもと思います。たとえば、悪口や陰口は言ってはいけないといいつつ、実際には悪口や陰口をいっているとかそういう場合を考えてみましょう。ここでダブルスタンダード的な批判をしても意味がないんですね。
理由は簡単です。悪口や陰口はいけないというのはたぶん正しいことでしょう。しかし、悪口や陰口を言わない人間なんてほとんどいないからです。これは批判であって悪口でないとか陰口でないというのは子供の論理なので今回は無視します。
・言ってることは正しい
・言ってることと行動が矛盾しているが、でもこの程度は矛盾とは呼べない代物
・こうあろうと考えてることと、実際の行動が追いつかないこともよくあること
自分自身だけ別扱いだって、特に問題ないことも多いわけですね。
正しさについて
正しいことでも、「子供じみた正しさ」のあることや
「正しいだけでほとんど意味がない」ことがあることに、
気づかないと、不毛なことも多かろうと思います。
もちろん、
「正しい」ことなので
共感者も賛同者もいると思うんだけど
ただ、それだけの話。
僕はこんなに正しいのに、誹謗中傷や陰口を言われるんですよ
正しいことと、人から恨まれるかどうかは別だから。人に好かれない行動をしたら、正しくても人の恨みを買うからです。
相手の面子も大事
人間は自尊心の生き物である。どんな人間でも、口にこそ出さないものの、最も大切かつ最も正しいのは自分であり、他人は自分をそのように扱う義務があると考えている。たとえ明らかに間違ったことをした場合でも、「自分がそんなことをするわけない」と、傍目には見苦しい理由付け(合理化)さえしようとする。そうした人間に対して、(たとえ本当のことであったとしても)間違いや落ち度を公然と指摘したりすれば、態度を硬直させ、非協力的になるのは必然の帰結だ。
『相手の面子を潰す』 ~人間は感情の動物~ ――「ビジネスの落とし穴」その(9)|ビジネスの落とし穴|ダイヤモンド・オンライン
最後に
楽しく過ごすには、幸せになるにはどうしたらよいかの参考になれば幸いです。スポンサーリンク
コメント一覧
名前:しまだ :
シングルスタンダードでこっちが生きても、他人はダブルスタンダード。
だからもう世間とは付き合うことを辞めました。
お金と市場しか信用できないので、ビジネスも当然やりません。
ほんとクソみたいな世の中だと思います。
2016/12/10 11:55