同じことを何回でも書く試み。個人的には嘘ついてもいいと思うけど・・・。現実社会でも嘘ついてる人多いし・・・。嘘の程度とかいろんな要素があるはずだと思います。
ツイートを削除すること - さまざまなめりっと
問題発言の削除を責める人には与しません。削除した後で、「私はそんなことはいいませんでした」と嘘をつくなら、それは問題です。
「消すな」は見せしめの論理
削除するなら、速攻で削除
削除するのなら、思い立ったらすぐに削除したほうがマシだと思う。Twitterの場合はよくわからないけど、ブログの場合は記事のURLだけは残しておいたほうがよいと思う。再度同じ記事URLを作成できるのなら、記事ごと削除してもよいと思うけど。なぜ記事URLを残しておいたほうがよいかというと、その記事URLを編集できることで本人だと証明できるからです。たとえば魚拓をとられて削除したい場合などは、ブログ自体がなくなってたりすると本人だと証明することは不可能になって削除依頼を受けてくれません。
該当記事のURLに魚拓に削除依頼中と書いて、魚拓のほうにそのURLを示すだけで当人だと証明されるのでそれだけで削除してもらえます。(引用でなくて丸ごとコピーの魚拓の場合のみ)
原理原則はあてにならない
なんでもケースバイケースなので、XXXしては絶対にダメとかいう系は大体あてにならない。たとえば、何事にも逃げたらダメとか逃げると逃げ癖がつくとかそういう感じのもの
参考記事:逃げ癖なんて迷信、成功してる人は勝ち逃げしてるぞ!! |某氏の戯言
引用先の削除したら余計炎上するのでよくないといっている本人も
http://blog.livedoor.jp/manamerit/archives/65377283.html
はてなブックマーク - RT記法を嫌がる人とサイトへのオンラインブクマを嫌がる人は似てますね - さまざまなめりっと
みたいな感じになってるので、時と場合によっては削除したほうがよいと思う。
記事が削除されてるので、本当のところ何があったのかも僕にはわからないし、これ以上調べたいとも思わないので見当はずれな例として上げてしまった可能性はある。
いじめで考えてみると
反抗すると余計いじめがひどくなる可能性があるから、耐え忍んでやり過ごしたほうがよい場合もあるだろうし、反抗しないと余計いじめられることになる可能性もあるわけです。いじめる側の心理なんて本当のところわからないわけで、そんなのケースバイケースです。実際にひどい目にあったこともない人の原理原則なんて役に立たないことも多いですし、また実際にひどい目にあってそれを回避した場合でも、それは単に成功体験の1例であってそれが一般化できるほど普遍性があるかどうかなんてわからないわけです。
こういうのは、いじめがなくならないのと同じようなものなんです。
やっていいかどうかはともかく、僕も含めてたいていの人は人をいじめたり、煽ったり、説教したりするのって結構楽しいものなんですよ。そういう自覚もなく、大義名分を上げて正義をかざしてやっている人間に何を言っても大体無駄。大義名分があって正義なら、何やってもいいと思ってる段階ですでに言っても無駄な感じだと思う。
それは正義でないとかそういう指摘自体も意味をなさない。
絶望的
書いていてちょっと絶望的な気持ちになるが、そんなに人は簡単に分かり合えないのは真理でしょう。ただ、そういうことを考えてるのは、あなた一人だけではないという意思表示は可能です。
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