昔の息苦しいインターネット
・インターネットは実名主義です・質問する前に検索しましたか?検索したら出てくる内容です
・無断リンク禁止は、インターネットのリンクの仕組みを理解していません
・年末・正月のおめでとうメールはやめましょう。インターネットに負荷をかける悪いことです。
・ネチケット
なんか、学生時代の校則みたいな息苦しさなんです。服装や髪型とかそんなたわいもないような規則しかないけど、それでも息苦しいなと感じたそんな感じです。
社会人になっても、校則みたいなものはないけど、明文化されてない服装や髪形その他もろもろの規則みたいなものがあるわけなのですが、息苦しいと感じる人はすくないでしょう。それはなぜか?と考えると、世界の広さが違うからだと思います。
学生時代は本当に狭い場所がすべての世界だったんですね。
今から見ると苦行
・電話で56Kモデム・テレホーダイの始まる夜11時までおあずけ
・エロい画像が表示されるのも写真の現像待ち状態
でも、そこには希望があったんですね。
まあ、よこしまな心もあったかもしれないけど…。
普通の人たちが大量にいる今のインターネット
昔のインターネットは僕から見ると、多様な価値観の存在を認められるような感じでなかった。現実に居場所があまりなからないからこそ、ハンドル名をつかってインターネットでこじんまりとしていたのに現実はそうだったんです。人数が少ないということで、現実とは違う系統の小さな社会が出来ていたのに過ぎなかったのかもしれません。皮肉にも普通の人が大量に流入してくれたおかげで、マイノリティーな僕は自由にインターネットにいる錯覚を得ることが出来たんです。人数が増えることで、混沌とした状態が作り出されてその副作用として自由度があがったんだと思います。
普通の人といっても、自分の周りにいる人たちとは違うわけですから世界が広がったり価値観が多様化するのは当然なのかもしれません。現実世界では、僕のことをわかってくれるような人はこの世の中にいないかもしれない的なことを考えてたりしたわけですが、単に人数が増えるだけで、今いるところでない場所というのが増えたわけです。
生きることは戦いだ
・かつて、俺たちはインターネットだった - G.A.W.・普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。|真性引き篭もり
「戦っている」という言葉が出てくるのですが、それは何かというと僕は、生きることだと思います。
今なお、若者が生きるためにインターネット上でも戦ってると僕は思います。
ただ世代が違うから、それが見えないとか気づかないだけだと。
なぜ、何かと戦わないとだめだったのかもさえ僕は忘れてしまったような気がするけど、インターネットが変容してもそういう人たちは依然といるわけです。
変わったのはインターネット、周りの環境でなくて、自分自身だったりするのかもと。
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