大人びているが未熟な子供たち
たかが10数年の人生経験しかないおまえらが正しく想像できるほど娑婆はわかりやすいもんじゃじゃねーってんの。新卒の新入社員でさえ幼さが残るぐらいなんだから、中高校生ぐらいの精神的な成熟度や判断能力を考えれば、逆に正しい判断・適切な判断ができるとは私はとても思えないんですね。で、そういうのを期待するのもかなり現実的でない気もします。
404 Blog Not Found:あなたを逃せるのは、あなただけ
でも、いじめに関しては、時と場合によっては、逃げることも可能だよという簡単そうで簡単でない道を示すしか現状は効果的な方法がない感じですよね。
「いじめられたら、逃げてもよい 【弱いダメ人間と強いダメ人間】」の記事を書いた時から考えているのですが、どうすれば子供たちは逃げるという選択をできるようになるかと。
子供を誰が救える可能性があるか?
・学校に頼る ->たぶん無理かムダ・先生に頼る ->たぶん無理かムダ
・友達に頼る ->未熟な子供同士で解決できるか?
・親に頼る ->微妙
私の感覚的にはこんな感じ。
思春期の頃の気恥ずかしさ?というのは個人差があろうとは思うけど今から考えると尋常じゃないほどではなかったかなと思います。だから、子供から親に頼ってくるというのは期待できない可能性があります。
親ができること
親は、いじめにあったら逃げてもよいよということを伝えるのではなくて、どんなものに対しても戦略的に逃げることもOKだみたいな価値観を教えるべきじゃないかなと最近思います。あと、出た結果にたいしてその行動が正しかったかどうかは、実はわからないということも。
自殺するぐらいなら学校に行かないほうが良いのに決まってますが、それは結果が出てるから言える話で、そうでない場合は自殺しないわけですから、絶対に良かったといえない価値観もあります。
親が価値観や生き方をそれとなく子供に伝え、示すという地道なことでしか、何かあった時に逃げると判断できる子供には日本では育ちにくいのではないか?と思います。
親も目先の結果だけにはとらわれないということも重要かも。このままでは、ニートになるとか就職できなくなるとか・・。実際は、どっちの選択をしても結局は、ニートになるかもしれないし就職できないかもしれないのに、こっちの選択だとそうなるという思い込みがあると厳しいかも。
引用先のような親だったら、僕ならどういう価値観を子供のころに持っただろうということを考えれば、親の考え方というの重要な要素を持つと思う。
#もちろん、親が悪いとか親に責任があるとかそういうのとは全然関係ない話です。
学校でないと社会性は身につかないか?
集団生活を通じて、社会性を身につけましょうとかそういう話なんですが、学校でないと身につかないものではないと思いますし、そもそも学校で身につく社会性ってなんなのでしょうか?正々堂々と問題に立ち向かうことの重要さ
「正々堂々と問題に立ち向かうことの重要さ」とかいいますが、これを重要視しすぎたら逆に、社会性なんて身につかないですよね?単なる、パワー合戦ですよね?大人でも難しい
大人でも逃げるタイミングは難しい。逃げた後のことを考えたりすると、逃げることが良くないことのように思えてしまうことも多々ありますよね。周りから、身内から、逃げずに頑張るべきだったんでは?と言われがちなのも同じかも。アメリカン・ドリーム
アメリカン・ドリーム的?な話は、逆に絶望を与えかねないかも。・困難な道を選択することを想像させる
・特別な人間だからということを想像させる
性格か価値観なんでしょうかね?その手の話を聞いて、希望をもって頑張ろうと思える人と、より絶望を感じてしまう人の差は?
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